のらねこ日記

読書、映画、考え事など。色々なテーマを扱える人になりたいです。

"発酵と腐敗を区別するのは、科学ではなく文化である"

発酵に関する本を連続で読みて。

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つくづく、発酵がもたらす恩恵のありがたさに感謝する。

発酵は人類の文化であると言っても良い。

 

そもそも、お酒自体が発酵の結果なのですもの。

お酒のない人生はオアシスのない砂漠と同じである。

もちろん、お酒を一滴も飲まない人が悪いわけでは決してなく。

ただ、酒好きからすると。

No Life No アルコール

と思ってしまうのである。

 

今から5,000年前に既にお酒に関する記録があったのだから。

ロミオとジュリエット以上にお酒と人類の縁は深い気がする。

 

"発酵と腐敗を区別するのは、科学ではなく文化である"

との名言にも納得する。

 

同じように時を経て、状態の変化を産むとの話であるが。

片や、腐敗で、片や発酵。

地域によっては、納豆などとてもじゃないが食べられない、との場所あっても不思議ではなく。

 

納豆を見て。

"腐っているじゃん"

と言われたとしても、若干、何も言えぬ所。

ただ、納豆を明確に日本食の一部として扱われる。

何故か?

それが日本文化であるから、としか答えようなく。

 

つくづく、文化との言葉がもたらす、一種の正当化力とは大したものだ、とも思ってしまうのである。

インプットよりもはるかに重要な事は"アウトプット"である。

社会人になって何年か経つと。

"自分なりの仕事術"が身につく。

指導ご鞭撻、諸々の結果であったり。

自分の中での試行錯誤の末でもあり。

まあ、何にせよ。

仕事のスタンスは固まってくるものである。

 

当然、僕自身も、"こうあるべき"論はあって。

語り出すと多々思う所あるのだけど。

読んでいる本の内容とリンクする部分あり。

 

"新しい発見!"

ではなく

"そうだそうだ!まさにその通り!"

と共感するパターン。

ただ、自分の考えていた事は間違ってなかったのだな、と自信に思うは良い事だと思うのである。

 

まずは、本のタイトルを紹介。

「アウトプット大全」

樺沢紫苑

サンクチュアリ出版から。

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読了はしてないが。

現時点で記事にするに値する。

 

本書の肝。

インプットよりアウトプットが重要である、との事。

これは、まさに真なる事で。

アウトプットなきインプットは意味がない、と言っても過言ではないように感じる。

 

本書の中で

どちらが成長しますか?との問いで。

 

①月に3冊の本を読んで、3冊の本に対してアウトプットする人

②月に10冊の本を読んで、アウトプットしない人

 

話の流れ上、わかると思うが。

前者である、との主張。

全面的に同意である。

 

読んでの部分がいわゆるインプットであり。

アウトプットとは、

例えば、

"この本の〜な部分がおもしろかった!〜に役立つから絶対読んだ方がいいよ!"

と人に紹介する試みである。

 

何故、アウトプットが重要であるか?

との点。

僕自身の経験も踏まえて。

 

インプットだけの知識は大抵理解していない!

これに尽きる。

 

下記にポイントをまとめる

・アウトプットできる = インプットしている、と言える。

・インプットとは"理解したつもり"になれるものである。

・インプットが成功した、と断言できるのは、アウトプットに成功した時である。

 

上記、ご納得いただけるかどうか。

 

納得いただけない場合。

例えば、一番直近で読んだ本の面白かったポイントをアウトプット(人に紹介)してください。

と、頼まれたとする。

・・・

"なんも思いつかねぇ"

となったならば。

貴方のインプットとは何だったんですか?

との話になる。

これは"インプットできていない"と同義語なのである。

 

頭のいい人はそうではないのかもしれないけど。

凡人からすると、自分が理解したかどうかを図る尺度はなかなかない。

無知の知、ではないけれど。

自分が理解していない、と認識する過程は、結構難しい。

人間は理解したつもりになる生き物である。

断言してもいい。

自分も含めて、絶対にそうである。

周りにはうようよと理解したつもりの大人が蔓延っている。

 

僕自身は、自分が理解しているのか?を確認するため、

誰かに説明するとしたらどう語ろう?と必ず考えるようにしている。

もし語れなければ、それはインプットできていない証拠なので。

再びインプットするわけである。

(僕自身がブログを書く理由もその点にあり)

 

一番良いのは声に出して、人に説明する事である。

声に出す事による記憶定着の効果も含めて。

理解するために重要極まりない事であると思う。

 

大学時代に僕は

"本を読んだ後に、読んだ本について語れない事"に違和感を感じた。

社会人になって僕は

"情報収拾だけでは意味がない事を知った"

 

アウトプットが一番大切である。

引用しよう。

"現実世界はアウトプットでしか変わらない"

 

できるだけアウトプットをすべし。

僕はアウトプットする前提で本を読むようにしている。

そうでなくては自分がインプットできているか確認できないので。

 

今週のお題「好きな街」 神保町に決まってます。

今週のお題「好きな街」

 

好きな街と言われれば。

言うまでもなく"神保町"である。

 

言わずと知れた"本の街"。

僕の人生は"本"の影響を如実に受けており。

 

母が読んでくれた絵本から始まって。

今に至るまで、本と一緒に人生を過ごした。

本に浸かって生きてきた、と言ってもいい。

 

呼吸をするように本を読む。

大学時代から、本を読んでいない時はなく。

本を読む事はとても自然な事、なのである。

 

僕が本を読もうと思ったのは。

母が読書家であったからだと、明確に覚えている。

 

母は本を読んだ感想を語るのが巧かった。

 

何故、感動したか?

いかに心を動かされたか?

 

シンプルなのだけど、味のある思いを語ってくれた。

そう。

僕が本を読もうと思ったのは、

母のように本を語りたかったからなのだと思う。

 

そんな僕は成長して。

なんの因果か知らぬが、水道橋の大学に通い。

そこで、本が好きな先生と出会い。

神保町に入り浸って。

そのまま本に関わる仕事に就いた。

 

僕の軸は、あくまでそこにあって。

小説でもいいし。

ノンフィクションも含めて。

本を読む事は人生の柱であり。

これからも、そうであり続けるものにて。

 

だからこそ、僕は本屋を支えたいと思うし。

そんな業界で仕事をできる事を幸せに思わないといけないんだな。

 

僕がこのブログで本を紹介するのは

紹介できるように本を読み解きたい、とのアウトプットの意味もあるけれど。

そもそも、本の楽しみ方を人に紹介したい一心、でもある。

 

紙はなくならない!

と胡座をかいてはならぬけど。

それでもなお、僕は紙の本が好きだし。

行く度に、紙の本が好きであると、再認識できる神保町が大好きだ。

 

僕は、そこで育った。

生涯の友と出逢い。

一生の軸を見つけた。

水道橋から神保町に歩く時。

思い出す全ての事が、抱きしめたくなるような宝物。

 

匂いがある。

それは、思い出の匂いなんだろうと思う。

僕は神保町に行く度に、深呼吸をする。

思い出の匂いに浸って。

幸せな気持ちになる。

 

いつまでも変わらぬ街であって欲しく思う。

 

神保町について語る時。

いつだって、何度でも、僕は感情的になる。

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フグの毒を漬けて食う。発酵の力、そして勇気。

目に見えぬものをコントロールするのは難しい。

至極、当たり前の事を言うが。

難事を伝統技術として育んできたのが日本である。

(日本だけに限った事ではないけれど。)

 

具体的に言うと。

・日本酒

・漬物

・味噌

・醤油

などなど。

 

これらは全て発酵技術によって得られるものである。

発酵は、微生物たる"目に見えぬもの"をコントロールして成立する。

 

微生物は顕微鏡なくして目視できないので。

昔の日本人は理論は知り得なかった。

(顕微鏡による微生物の発見は1674年の事)

つまり、微生物の働きで発酵の恩恵を受けるとはわからなかったはずなのだ。

 

その点、興味深く。

どう解釈したのだろう?と思うわけだが。

 

基本的に、発酵 = 長期的な放置 によって得られるものなので。

最初に食べた人、勇気あるよね、と思ってしまう。

(一歩間違えれば、腐っているのと同義だからね)

 

日本における発酵の記述は魏志倭人伝の頃に既にあるそうで。

(酒に関する記述との事)

一体、当時の彼らは、なんでそうなるのか?について。

どう解釈したのであろう、と考えてしまう。

 

「ぶどう放置しておいたら、意外といけるぞ!」

「おお!これはすごい!」

・・・

「でも、なんでこうなるの?」

と考えた時、

 

神の恩恵と解釈するのが自然であり。

だから、神さまとお酒は関係が深い(全世界的に)のだと思っている。

 

面白い発酵食品で紹介されていたのが。

 

石川県金沢市辺りでのフグの精巣を糠漬けにしたもの。

フグに毒があるのは誰しも知っている事と思うが。

毒は精巣にある。

その精巣を食す。

・・・

ただ、そのまま食べると死ぬので。

・塩漬けに1年

・糠漬けに2年

すると、あら不思議!

無毒になる、との事。

 

漬けになっている間に毒がなくなるらしいのだ。

金沢県の名産お土産になっている、との事で。

ちょっぴり怖い気もするが食べてみたいもの。

 

ただ、最初にフグの精巣を糠漬けにして食べた人ってどういう発想で?

と思う。

諸々、最初に実行した人は偉大だと、コロンブスの卵的な話はよく言われるが。

"毒がある生物を食べる"

とのチャレンジは命を賭けている分、質が違う気がする。

 

しかも、放置期間が長すぎる。

毒物なのだから、2〜3年経とうが毒のままだろ、と思うでしょうよ、普通。

しかも、微生物さんにお願い!って。

お願いできる相手が目に見えないのだから、一体全体どういう了見で食したの?と聞きたくなる。

 

「3年ぐらい漬けたから毒消えているんじゃね?」

と思って食べたのだとしたら。

もはや、勇者ではなく、命を粗末にしているだけである。

一体、全体、どのようなお考えを・・・?

 

どう考えても、試行錯誤あり。

お腹痛くなる程度なら良いけれど。

多々、犠牲もあったんだろうなぁ。

伝統的な発酵技術の獲得には。

 

それ以外にも諸々。

伝統的な日本食がいかに"発酵"によって支えれてきたかがよくわかる本を紹介。

※つい最近も記事にしたけれど。

発酵の話は本当に面白い、と個人的には思う。

 

「発酵」

中公新書

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進化した要因はエラーです!

進化はコピーのエラーによって成り立つ。

この考え方が僕は好きで。

完全なる複製は先に進む事ができない、と考えると。

気が楽になる。

時には失敗する事で先に進める事もある。

 

何の話かと説明をすると。

遺伝子 DNAの話。

DNAはコピーする事で増殖する。

 

DNAとは、生命の設計図のようなもので。

(詳細の設計図ではない、との話をよく聞くが)

DNAをコピーし、設計図として諸々を形成する、が基本である。

 

家で例えるならば。

家の設計図があって。

設計図をコピーして隣に家を建てるようなものである。

 

そうなると、設計図のコピーが作業として重要なのは明白。

間違ってコピーしようものならば、家が建てた途端に崩れるかもしれず。

無論、丸々全ての設計図を複製ミスしてもそうだし。

 

一部であっても、

例えば、柱の部分の設計図を複製ミスすれば、極端に強度のない家が建ってしまうかも知れず。

ならば、コピーエラーはダメじゃないか?

と思うかも知れないが。

 

結果オーライ。

逆に便利じゃん(強度が増したじゃん)があり得る、との解釈。

 

わかりやすく言えば。

・設計図のコピーをミスりました!

・でも、ミスった設計図で家を建てたらより強度が上がりました!

・じゃあ、この設計図の方が良くないか?

・次から、こちらの設計図で家を建てましょう(結果オーライ)

との流れ。

 

後輩でそんな事を言っている人がいた場合。

自分のミスを棚に上げて云々、と説教だが。

 

生命の歴史はそんな事はしない。

話の流れからわかると思うが。

生物学における進化も同じような流れなのである。

・DNAのコピーをミスりました!

・でも、ミスったおかげでより環境に適応した感じに仕上がりました!

・環境に適応しているから、生き残ります。

・子供を産みます→増える→メインストリームとなる。

以上が生命の進化の流れなのである。

 

故に。

進化は偶然のDNAコピーエラーがもたらした結果である、と言える。

そのため、完璧にDNAをコピーできる生物は進化できない、とも考えられる。

 

一見、失敗に思えても。

長期スパンで考えると、進化の過程かもしれず。

そう考えると、エラーも短絡的に考えてはならぬのである。

(自分に対する言い訳のようにも聞こえるが)

 

そんな考えが紹介されている本

「面白くて眠れなくなる生物学」

 

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〜微生物は空気のように重要なものです〜 「発酵」中公新書

発酵。

実に奥深いテーマである。

人類史上においてでも。

発酵の発見は一つの転機を産んだであろうし。

歴史を変えた、と言ってもいい。

 

知る or 知らない で世界の見え方が一変。

我々は常に微生物に囲まれている。

 

「発酵」

〜ミクロの巨人たちの神秘〜

小泉武夫

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1989年初版にて。

僕の産まれた2年後の本である。

古びず、実に楽しめた。

 

微生物に関しては過去の記事でも触れており。

 

anfield17.hatenablog.com

 

ウイルスと細菌の話は実に興味深く。

愛読のテーマにて。

 

おそらく

(検証はした事がないが)

地球上から微生物を全て駆逐したら、地球は破滅する。

自然界のバランスは微生物によって成り立っている、と感じる。

言及されているのは知らぬが。

おそらくそうであろう事。

 

故に、除菌 99.9%との言葉がイメージのみで先行するのは良くなく。

除菌は時に正義だが。

必ずしも、全てにおいて当てはまるわけではなく。

菌によってバランスが保たれている部分も多く。

 

地表上での動植物の総生産量は、年間5,000億トン〜1兆トンと推定されている。

もし、ここに微生物の発酵作用がなかったならば、地上はたちまちのうちに動物や植物の遺体で埋まってしまうだろう。

 

との事。

本書にありて。 

 

簡単に言うと。

微生物がいなければ動植物の遺体は分解されないので。

物体として存在し続ける限り、あっという間に地上を埋めてしまう、との意味。

 

バランスをとる微生物。

"目に見えないけど、酸素って重要だよね〜"

と同じようなトーンで。

"目に見えないけど、微生物って重要だよね〜"

と語る意味合いは全く同じである。

 

どちらも生きる上で重要だ。

 

現代に蔓延る"除菌至上主義"に物申す。

彼らなくして、我々は生きられないぞ。

 

まあ、もちろん、悪さをする菌もおりますが。

 

特段、触れることはなかったが。

発酵とは、微生物 = 菌の作用であり。

菌なくして発酵はあり得ない。

 

GAFA 〜今、知るべき事、時代に考えるべき事〜

ビジネス書を読まぬと思ってた時もあるけれど。

読むと得られるもの多く。

食わず嫌いは人生の損である。

 

 

G

A

F

A

 

Google

Apple

Facebook

Amazon

 

時代の寵児を四騎士と例えて、語る。

2018年。

時代に住みつく中で、知らぬ者がいない企業。

影響力は言うまでもなく。

知名度は語るまでもない。

 

GAFA

スコットギャロウェイ

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だからこそ、今読むべき本であろう。

逆に言えば、今、読まなければ意味はなく。

 

それでもなお、あえて思い出す。 

祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。


娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらは(わ)す。


おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。


たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。

 

永遠はありえないぞ。

身に染みて思え。

でも、なお、今を読み解くためには必要である。

満場一致。

時代の寵児なのだから。

 

個人的に、Facebookだけは活発に利用していないので。

ピンと来ず。

砂漠に生きる住民が雪の美しさを語られているようなものだった。

 

その他。

Google

Amazon

Apple

なるほどな、と思う事多く。

各社共にもっと掘り下げた本はあるだろうが。

初級編としては充分な視点をいただけた。

諸々、一つ一つ語れる気がする。

 

Amazonから。

 

Amazonの便利さ、今更語る事もなく。

通販世界を変えたのはAmazonであろう事。

 

僕自身は一人暮らしであり。

宅急便を受け取るのは若干メンドくさいのだけれど。

Amazonはコンビニに届けてくれる。

好きなものをどのタイミングでも。

頼んだ時から一週間も待たずにして。

 

例えば、月曜日に欲しいと思えば。

週末を待たずして、手に入る。

土日を待たずして欲しいものが目の前に届く。

しかも、送料、余計なものは一切かからずに。

 

もし、貴方が土日を待って。

街に繰り出して欲しいものを買うとするならば。

・電車賃がかかる

・手間がかかる

・もしかしたら、欲しいものが売り切れているかもしれない

・重いものであれば持って帰らなければならない

 

上記のデメリットを受け止めなければならず。

Amazonを利用すれば、そんな不満は一切なく。

だからこそ、Amazonは誰しもに利用されるのだ。

 

さて、一石を投じる。

Amazonは手間をかける楽しさを喪失させている。

・・・

この辺りは微妙な所で。

負け犬の遠吠え感と断言する人もいるとは思う。

 

なれど。

手間はささやかな幸せを生む。

 

では、こう考える。

・どこでもドアで山頂に行く事に意味があるか?

・フルマラソンと同じ疲労感を一瞬で得たとしたら達成感はあるか?

・北海道でしか食べられない蟹を現地で食べる幸せとは?

・料理は時間を掛ければより美味しくなる。

 

僕自身は確信を持つ。

手間は一種の幸せである。

 

福島でしか買えない日本酒は。

Amazonで取り寄せる日本酒と。

決定的に何かが違う。

確信的に、意味が異なる。

 

僕はそう思う。

だから、Amazonは何かを喪わせる。

便利さと引き換えに。

・・・

と、言うわけで。

僕は足を運ぶ事、に対して愛着がある。

 

Amazonで本を買えばいいや、と言う人に対して、反論をしたくなる。

 

ただ、思うのは。

その考えに甘んじてはいけない、と。

 

本書に書いてあるのは。

品物はAmazonで簡単に手に入る。

客が店に来るのは店員 = 専門家と話をするためだ。

本屋に未来があるとしたら?と考えてしまう。

Amazonで生涯最高の本に出逢えないとして。

本屋で人生ナンバーワンの本に出逢えるならば。

誰だって本屋に行こうと思うでしょう。

 

陳列ではいけない。

体験でなくては。

そんな事を思う。

 

ただし、そうなっていないのも事実で。

ならば、余地はあるのだろうか?

そう思ったりもするのである。