それから 夏目漱石
小説の最高峰。
人が人である事への苦悩。
どう生きるか?
もしくは、いかに死ぬか。
人間が生きる悩みを真芯で捉えている。
真芯であるが故に、響く。
自己の中にある沈澱物に対して一石を投じるかのように、心がざわめき立つ。
深度ある共振。
だから、一種の疼きとして残る。
・・・
この小説が明治に書かれている事に戦慄する。
100年経った今も、
人間が人間であろうとする泥臭い懊悩は出口がない。
読んだのは、これで3回目である。
「それから」
あらすじを引用
恋人はいま親友の妻。
再会、あなたならどうする――。
ラストは、衝撃/納得?
新鮮な問いを投げる、漱石渾身の恋愛小説。
長井代助は三十にもなって定職も持たず独身、父からの援助で毎日をぶらぶらと暮している。
実生活に根を持たない思索家の代助は、かつて愛しながらも義侠心から友人平岡に譲った平岡の妻三千代との再会により、妙な運命に巻き込まれていく……。
破局を予想しながらもそれにむかわなければいられない愛を通して明治知識人の悲劇を描く、『三四郎』に続く前期三部作の第二作。
夏目漱石といえば、
最も有名な作品は「こころ」であろう。
多くの人が国語の授業で一度は聞いた事のある作品。
僕自身は当時、千円札の肖像は夏目漱石だったので(学生が最もお世話になる千円札!)、
どれどれ、お札になるほどの人ならば読んでみようかしらん、と思い読んだ記憶がある。
そして、単純な感想として、普通に小説として読める(意味がわからないといった事がない)ものだな、と驚いた記憶がある。
結構、わかりやすい恋愛小説であり、ここでは多くは語らないが、テーマも身近なのである。
「それから」を読んだ時も同様の事を感じた。
わかりやすく物語を要約するならば、
親友の妻を愛してしまった男の話、なのである。
これって、
今もなお、日本中のそこらで起きている現象であり、
読後の感想が自分だったらどうするか?との、実に陳腐なものに帰結する。
それは、このテーマがいかに普遍であるかを語る。
鍍金を金に通用させようとする切ない工作より、真鍮を真鍮で通して、真鍮相当の侮蔑を我慢するほうが楽である。
この言葉に救われたのは大学生時代の僕である。
本作の高等遊民の概念に憧れた。
今でもその当時の事を鮮明に思い出す。
本作は自分にとって夏目漱石と再会させてもらった作品である。
再読して痺れた。
大学時代に読んだ本とか、
自分の人生に打撃を与えた作品を再読するのは、
実に良いものである。